箱根駅伝のドラマを描く自伝的小説「冬の喝采」黒木亮インタビュー

黒木氏もかつて箱根駅伝のランナーだった
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神奈川県在住者にとって、お正月の「箱根駅伝」は、テレビで見るものであると同時に、「すぐそばを走り抜けてゆくもの」かもしれない。そして誰もがその熱い走りとそこから生み出されるドラマに興奮せずにいられない。

そんな「箱根駅伝」をテーマにした長編小説が出版された。

作者の黒木亮氏は、00年に「トップ・レフト」でデビュー。「巨大投資銀行」「エネルギー」など、経済小説で知られるが、10/20に最新作として「冬の喝采」を上梓した。今回は、“自伝的小説”であり、そのテーマとして選んだのは「箱根駅伝」…そう、黒木氏はかつて、あの名ランナー瀬古利彦からタスキを受け取ったこともある、箱根駅伝の選手だったのだ。

黒木氏にお話をうかがった。

―これまで、経済小説を何作も書かれていた黒木さんが「箱根駅伝」をテーマに選ばれた理由は何ですか?

「大学を卒業するまで、自分にとって陸上競技が人生のすべてでした。自分の競技生活の頂点である箱根駅伝を中心とした陸上競技の小説はいつか書きたいと思っていました。書かなくてはならないという意味では、経済小説よりも遥かに強い想いを抱いてきました。経済小説を書きながら作家としての技術を磨いてきたのは、この小説を書くためだったといっても過言ではありません」

―「箱根駅伝」が、近年平均視聴率25%超というような熱狂的な人気を持っている理由についてどうお考えですか?

「1987年から日本テレビが中継をするようになり、各大学が受験者を増やすための格好の手段として力を入れ始めたのが大きいと思います。箱根駅伝は伝統に支えられ、選手も監督も必死になる『魔物』のような大会なので、その魅力がテレビ中継によって世に広く知られることになったのだと思います」

―いまは視聴者として「箱根駅伝」をご覧になりますか?

「海外に住んでいるためテレビで観ることはありません。ただ『冬の喝采』を書くにあたって、2年前に取材で3区、8区、ゴールを観に行きました。自分が走った区間を見ると、走ったときのことが視界にだぶってきます。これは走った選手は皆同じではないでしょうか。」

―実際に走られた「3区」「8区」についてどんな印象を持たれていますか?

「晴れた日の湘南遊歩道は相模湾が銀色に煌き、遠く富士山も望めるコースで、箱根駅伝らしい華やかさのある区間だと思います。3区を走ったとき、新春の光を燦燦と浴びて輝いていた海の風景は、今でも脳裏に焼きついています」

―30年前の「箱根駅伝」はどんなものでしたか?

「当時は伴走のジープがあり、背後の監督の声を聞きながら走りました。的外れな指示も結構ありましたが、苦楽をともにした監督の声を聞きながら走ったことは、深く心に残っています。沿道の熱気は、現在に比べても優るとも劣らないものがあり、初めて見たとき『ああ、これが箱根駅伝なんだなあ』と感銘を受けました」

―今回の自伝的な小説を書く上で、これまでの執筆と「創作にあたっての意識の違い」的なものがありましたら教えてください。

「小説を書くときはいつでもそうですが、自分の感情を抑え、冷静に書かなくては、読者にメッセージは伝わりません。今回は、自分の出生にまつわる事情や、苦労に苦労を重ねた競技生活が題材だったため、とりわけ自分の側の『想い』は深く、その『想い』が空回りしないよう注意しながら書き進めました。

―瀬古利彦選手とは、黒木さんにとってどんな存在でしたか?

「まず第一に、見本とすべき選手でした。瀬古さんのフォームや一挙手一投足を見ながら、自分のフォームや私生活を修正していました。また当時は、遥か遠い別世界の超人のように思えていましたが。後年、瀬古さんが書いた本などを読むと、彼も人間であり、段階を踏んで強くなっていったことが分りました」

―最後に、今回の作品には「親子の関係」がテーマになっていると思います。黒木さん自身にとって、それはどういう意味を持つテーマだったのでしょうか?

「今回の作品では、親子の関係が1つのテーマになっています。自分が養子であり、それを打ち明けられたときの様子などを、腹をくくって書いたのもそのためです。自分としては、愛情を注いでくれた養父母への感謝、速い足を授けてくれた実父母への感謝、自分を箱根路へと導いた運命の奇跡を書きたかったのだと思います。」

「冬の喝采」 黒木亮著 ¥2100(税込み) 講談社

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