7人の侍ならぬ7人の監督が大いに語る! イタリア映画祭座談会開催PART2

『やがて来たる者』のジョルジョ・ディリッティ監督
  • 『やがて来たる者』のジョルジョ・ディリッティ監督

『やがて来たる者』のジョルジョ・ディリッティ監督は「60年ほど前にボローニャで本当にあったことで、日々の生活を営む人々の中に戦争が突然侵入してきた事実を描いている。リアリティを重視し、切り取って見せることを常に心がけている。1944年に自分も戻ったような臨場感を大切にした」「映画は映像作家、監督と観客の関係を重視し、ともに成長する場であり、社会変革させる1つのツールだと思っている。夢を実現させるのが映画の使命であり、自分のことを考え直そうと思わせるような作品を作ることが大切だ」と、映画を通じて観客と唯一無二の関係を築くことの重要性を訴えた。

『重なりあう時』のジュゼッペ・カポトンディ監督は「冷たい、敵意に満ちた街を探してトリノにした。最初はトリエステ、次にジェノヴァを考えたが、いずれもロケ地としてふさわしくなかった。映画制作の環境が良くて、フィルムコミッションの協力も得られた」とロケ地の環境も映画の善し悪しを左右するとコメント、「イタリア映画のルネサンスはまだまだだ。この中でパンクなのはベロッキオ監督だ。私たち監督がいけないのかもしれない。旧態依然の風潮を変え、もっと良くしていく必要がある。このままだとテレビ業界に従属したものになってしまうかも」と、今のイタリア映画界を危惧する発言もが飛び出た。

最後に『勝利を』のマルコ・ベロッキオ監督は「ミラノに見せかけたトリノで撮影した。トリノに昔のミラノが残っているわけではなかったが、当時の北イタリアの雰囲気を生かしたかったので」と語り、「今まで誰も“パンクだ”なんて言ってくれなかったから嬉しいよ(笑)。確かにみんな同じような題材で撮影しているから、イタリア映画のルネサンスは遠いね。個々の作品では良いものもあるが、全体を見るとルネサンスとは言い難い。私は映画を通じて観る人に語りかけたい。そして、本当に語りかけているか?情熱はあるか?それらも重要だと思っている。私は作品の中に監督としての視線を必ず入れる。それが私のサインであり、希望でもある。ぜひそれを感じ取ってもらいたい」と重鎮らしい言葉で締めくくった。

7人の監督からは、『怪物たち』(63)と『甘い生活』(60)が引き合いに出され、イタリア映画界の現状が生々しく語られた。ダヴィデ・フェラーリオ監督が述べたように、この“7人の侍”たちはマイノリティだそうだ。確かに、イタリア本国でもハリウッドの超大作に押され、純粋なイタリア映画は苦戦を強いられている。しかしながら、彼らのような確固たる信念をもった監督たちがいる限り、イタリア映画のルネサンスは近い将来間違いなく訪れるだろう。その時を楽しみにして、来年のイタリア映画祭を心待ちにしたい。

余談だが、7人の監督の作品中、4作がトリノで撮影されたのは偶然か、はたまた必然か? 日本人からすると、イタリアには映画のロケ地に事欠かないように思えるが、環境や雰囲気など、やはり監督たちの感性に訴えるものがトリノの街にあるのかもしれない。【MovieWalker】

PART1の記事はこちらから http://news.walkerplus.com/2010/0503/2/

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