【本誌連載の拡大版】巨人ドラフト1位、大田泰示選手インタビュー(1)

周囲の高校生の中でもひときわ目立つ大田選手。体が大きい!
  • 周囲の高校生の中でもひときわ目立つ大田選手。体が大きい!

 これぞ超高校級! 夏の神奈川大会では新記録となる5HRを含む、高校通算65HR。ことしのドラフト会議でもっとも注目を集めたといっても過言ではないでしょう。アツイプレーが信条、読売巨人軍へドラフト1位で入団が決まった東海大付属相模高校の大田選手が登場です。

――読売巨人軍での新しいスタートが決まりました。期待と不安、どちらが大きいですか。

「不安はまったくありません。新しい環境に早く慣れて、どんどん積極的にプレーしていきたという気持ちで、頑張らなければいけないという気持ちでいっぱいです」

――野球部を引退したいまは基本的にどんな生活を送っているのですか。

「取材がない時はグラウンドの中に入っています。夏の大会までに比べればさすがに運動量が減りましたけど、それなりに体は動かすようにしています。早く木製のバットに慣れたいですね。自分はバッティングで見せていかなくては、という思いはありますので。夏の県大会予選が終わってからはずっと木製バットでやっています。金属バットに比べてしっかり捉えないと打球が飛ばないし、手が痛くなる時もあるし、芯を外れると折れるし……まだこれだ、というのをつかんでいないので、自分の感覚でポイントを変えたりして、いろいろと試しながら量を打ち込んでつかんでいきたいと思っています。サイズもまだ全然決めていません。いろいろなバットを使わせてもらっているので、その中で一番いいのを選んでいきたいですね」

――東海大付属相模高校での3年間を改めて振り返ると。

「技術もそうですけど、門馬敬治監督の下でできて精神的にもすごく成長できたと思います。自分で自立して野球ができるようになったことが一番大きいと思います。監督からは『人間的に成長しろ』『謙虚になれ』と指導されてきました。『相模愛』という言葉も教えられました。自分を育ててくれた学校なので感謝しています」

――自立して野球をする、とは。

「野球は団体スポーツですけど、バッターボックスに入れば自分と相手ピッチャーの戦いになりますから。その中で他人への甘えをなくし、まず自分に厳しくして、ホント、自分でやらなきゃいけないという気持ちが出てきたのは非常に大きいと思っています」

――かなり以前からプロ野球選手になりたいと思っていたのですか。

「もの心がついた時からの夢でした。そのころにはボールを握って親父とキャッチボールしていたので……ホント、夢でした」

――その夢をかなえるために3年間、汗と涙を流してきたわけですね。

「自分は2年生までは全然打てなくて、いまのような評価をいただくことはありませんでした。でも、新チームになってキャプテンをやらせていただいて、そこからプレーに対する考え方とか取り組み方を変えるようにして、ホント、そこからですね。何て言うんですか、自分もやらなきゃいけないし、周りも見てやらなきゃいけない。その意味で自分の視野が広がりましたし、背中で見せなければいけないというキャプテンとしての仕事もあったので、その中で自分をうまく出せたんじゃないかと。キャプテンをやってから変わった、といまではそう思っています」

――全国でも最激戦区の神奈川県で、残念ながら甲子園には出られませんでしたが。

「1年生の時からいろいろありましたけど……3年間は早かったですね。1、2年までは長く感じたけど、新チームになってからはホントに早かった。3年生になって最後の夏を一生懸命に戦って、決勝をみんなで戦えたのが一番の思い出です」

――その決勝戦では延長の末に慶応高校に惜敗しました。何が足りなかったのでしょうか。

「足りなかったのは……何ですかね? ホント、どちらに転んでもおかしくないような試合だったので、自分としては別に足りないものがあったとは思っていません。慶応の方が運がよかった、という感じで捉えていますので。(甲子園に行けなかったことは)あまり気にしていません」

――月並みな質問で恐縮ですが、高校3年間で放った65本のホームランの中でこれだ、というのは。

「2年生の時の夏の桐光学園との決勝戦で放った先制ホームランが、最も自分を変えた一本だったと思っています。あの試合も結局負けて、すごく悔しい思いをして……何て言うんですかね、もっともっと練習をしなければ勝てないんだ、とすごく感じからです」

◆プロフィール
おおた・たいし 1990年6月9日、広島県生まれ。憧れの原監督の母校、東海大相模高校で通算65本塁打。ことしのドラフト1位で巨人に入団。1m83、90kg

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