被災地が舞台のヒューマンドラマ『春との旅』にニューヨーカーも泣いた

私の愛する風景を二度と見ることができないのは本当に辛いことです
  • 私の愛する風景を二度と見ることができないのは本当に辛いことです

7月7日から22日に渡って開催されたジャパン・カッツ!で、小林政広監督作『春との旅』(10)が、ジャパン・ソサイエティーで上映された。

同作は日本で昨年公開されて以来、高い評価を得ており、春を演じた徳永えりがスポニチグランプリ新人賞を受賞したほか、スペインのグラナダ国際映画祭では小林監督が最優秀監督賞、イタリアのアジア映画祭では主役の仲代達也が主演男優賞を受賞。ヨーロッパやアメリカ、アジア各国の映画祭に招待されるなど、じわじわと作品の素晴らしさが全世界に広がりつつある。

満席となった観客の前に静かに姿を現した小林監督が、「この作品は2009年4月から撮影したものです。私の愛する風景を二度と見ることができないのは本当に辛いことです」と語った通り、同作は仙台や気仙沼の市街地だけではなく、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた気仙沼市魚市場周辺や、いち早く被災地の人々を受け入れた鳴子温泉などで撮影され、今では変わり果ててしまった美しい景色を映像で見ることができる貴重な作品でもある。

そういった内容から、同作が、同被災地への復興支援として、6月8日に北京で開催された日中映像交流事業イベントでオープニング作品に選ばれるなど、各国から招待を受けていることに対して小林監督は、「この映画の内容は、地震とは全く関係がないにも関わらず、被災地で撮影されたというのが理由で話題になり、色々な場所で公開されることは、何だか地震を利用しているみたいで辛かったりもします。でも、作り手としては、少しでも多くの人たちに作品を見てもらえることは大きな喜びであり、声をかけていただいたところには自ら出向いています」と挨拶した。

また、同作だけではなく、これまでにも多くの作品で気仙沼や東北の三陸海岸をロケ地に使用していた小林監督は、「今日は来てくださって本当にありがとうございます。地震とは関係なく、この映画を見ていただけたら嬉しいです。国内ではあえて言わないのですが、海外でこの映画が上映される時は、主催者の方に読み上げてもらっている文章があります。今日は自分で読もうと思いましたが、あまりに辛いので通訳の方にお願いしました」と、声を震わせ沈痛な面持ちで語った。

その文章は、「撮影でお世話になった気仙沼唐桑町など多くの地域で、ご家族、お子さん、友人など大切な人たちを亡くされた方々のことを思うと、胸が詰まる思いです。お世話になった多くの方々と今も連絡が取れません。地震の時、私は東京にいましたが、本当にショックでした。被害に遭われた皆さんに追悼の意を表すると共に、人々に勇気を与え、励ますことが映画を作る意味だということを強く感じ、この映画で少しでも皆さんの心に元気をお届けできたらと思っています」というもので、小林監督の強い思いが感じられた。

その後、行われた上映会では、上映中に劇場のあちらこちらからすすり泣く声が聞こえてきた。日本人にとってみれば、現場が被災地というだけでも大震災の記憶とは切っても切り離せない作品になるが、仲代扮する足が不自由な元漁師の祖父の忠男と、徳永扮する仕事を失った19歳の孫娘・春が疎遠だった親族を訪ね歩く旅を通じて織り成す人間の心の機微は、国境を越えてニューヨーカーの心をがっちりとらえたようだ。

上映後に監督が再登壇して行われた質疑応答では、同作が完成するまでの経緯について「最初のシナリオが完成したのは、ちょうど世界同時多発テロがあった2001年9月11日の頃ですが、この事件以降、世界的にテロとか社会映画が、また日本では娯楽映画が主流になってしまい、人間ドラマの製作はますます資金繰りが難しくなってしまいました。でも以前、テレビの仕事でご一緒させていただいた関係で、忠男の姉役の淡島千景さんには声をかけさせていただき、了解をもらっていました。私はあまり誰かをイメージして脚本を書くことはないのですが、淡島さんだけは別でした。その後、毎年別の映画を撮ってはこの作品に戻って書き直しをしていましたが、なかなか資金が集まらず、8年前に『今度駄目ならあきらめよう』と思い、忠男役を演じていただきたいと思った仲代さんに手紙と台本を送ったんです。そうしたら仲代さんの方から、『ストーリーを気に入ったので是非やりたい』と仰っていただき、そこから資金が集まって製作にこぎつけたというわけです」と語り、構想から約10年もかかって完成させた渾身の作であることを明らかにした。

また祖父と孫娘で血はつながっているとはいえ、リュック・ベッソン監督作『レオン』(94)のレオンとマチルダを思わせる外見と緊迫したふたりの関係については、「仲代さんについては大ベテランということで何も心配していませんでしたが、徳永さんはまだ若いし経験も浅いので、どういうふうになるかは正直わかりませんでした。それを知って仲代さんは、撮影前に徳永さんをお寿司屋さんに誘って、良い関係を築こうとしてくれたのですが、ふたりの関係を緊張したものにしたかったので、約1ヶ月間の撮影中、仲代さんに『現場以外で一切徳永さんと口をきかないでください』とお願いしました。仲代さんは不思議そうでしたが了解してくれて、それが良い結果になったと思います」と、撮影秘話を披露してくれた。

「脚本を書く時は、やっぱり自分の経験が出てきます。豊漁を夢見て漁師を続けるなんて、売れない映画ばかり作っている自分みたいでしょ」と笑うが、作品中の「辛いことがあるから生きられる。生きることはそういうこと」といったセリフが、まさに今回の東日本大震災で被害を受けた東北の人々をはじめとする日本人だけでなく、様々な問題を抱えながら賢明に毎日を生きている世界中の多くの人々に響いたことは言うまでもない。俳優陣の演技も素晴らしく、誇りをもって世界に発信できる日本映画を、美しい記憶と共に是非見てもらいたい。【NY在住/JUNKO】

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