【本誌連載の拡大版】レッドソックス田澤純一選手インタビュー(2)

言葉は多くありませんが、一つ一つ選びながら丁寧に話してくれました
  • 言葉は多くありませんが、一つ一つ選びながら丁寧に話してくれました

――野球そのものはイチロー選手に憧れて始めたと聞いています。

「そうですね。その時にイチローさんがすごく打っていたというのもありますし、たまたま僕が通っていた小学校で野球が流行っていたというのもあるんですけど」

――横浜商大高では2年の夏で甲子園に出場するも登板がなく、最後の夏は準決勝で埼玉西武の涌井秀章がエースだった横浜高に惨敗して悔しい思いをしています。仮定の話しですが、もし新日本石油ENEOSに入社していなかったらどうなっていたと思いますか。

「普通に就職して働いていたと思いますよ。野球はやってないと思います。ホントに誘ってもらっていまがあるので、その点はよかったなと感じています。最後の夏が終わっても練習はしてたんですけど、普通に就職しようと思っていろいろと探していたところで。で、たまたまENEOSから誘いがあったんで野球が続けられたんです」

――社会人になって自分の中で一番変わった部分というのは。

「それまではやらされてきた野球が多かったので、意識的には自分で考えてやる練習に変わったのかなと思います」

――高校の時に投げていたナックルボールはいまも投げるのでしょうか。

「いまはもう投げてないですね。(フォークは)ENEOSに入ってからです。最初は全然落ちなかったんですけど、去年からだいぶ落ちるようになったので、キャッチャーもフォークのサインを出してくれるようになったのかな。いろいろ握りとか変えたりしていたんですけど、やっとこう、しっくりくるようになりました」

――アメリカでもストレートとフォークで勝負をしていきたいと。

「いまあるタマをもっと磨いて勝負してみたい、というのはありますね」

――入社当初は抑えでしたが、やはり今後は先発にこだわりたい、という気持ちはありますか。

「うーん、どうですかね。そんなにこだわりがあるわけではないですね。どっちをやれと言われてもいいです。抑えも先発も両方ともやりがいのあるところですからね」

――すでに日本で始動していますが、メジャー式の自主トレには慣れましたか。

「まだキャッチボールしかしていないんですよ。慣れたというか、タマ数制限があるんで、そのタマ数しか投げてないんですよ。使用するボールの違いとかもあるんですけど、まだそういうのに慣れてないですね。とりあえず、タマ数制限には従っています」

――タマ数制限とは具体的には。かなり細かく指示されているのですか。

「18mの距離で21球とか、その後ちょっと離れて27mでまたそれも20球とか。練習を始める日も12月29日と決められましたね。大晦日と正月の三が日はさすがに休みましたけど(笑)。思っていたよりもタマ数の制限というのはすごいなというのは感じます。早くそういうのにも慣れたいですね」

――契約のために向かったボストンでは松坂大輔投手と食事もしました。アドバイスをもらったりしたのですか。

「練習方法とかはそうでもないですけど、早く環境に慣れなさい、英語を少しはしゃべれるようにとか、そういったことを言われました」

――ボストンという街への感想は。

「すごくきれいな街でしたよ。ただフェンウェイパーク(球場)は工事中で、ほとんどシートかぶっていてわかりませんでした(笑)」

――最初は2A(レッドソックスの下部組織)からのスタート。弱肉強食の世界ですから、メジャーを目指して目をギラギラさせている同世代の連中がたくさんいます。

「育成プログラムというのをやれば絶対によくなると思うので、そのよくなったところを見てほしいと思いますけどね。球団からも『焦らなくていいんだぞ』と言われています。僕自身も焦りはしないですけど、(メジャーに)上がるのに早いのに越したことはないと思っていますからね」

――不安はありますか。

「言葉をしゃべれないことと、習慣とか文化が違うこと。その点では不安はすごくあるんですけど、それを乗り越えていけば自分の成長にもなると思っているので」

――野球をする部分においては不安はないと。

「楽しみな面もあるので大丈夫かな、と思っています!」

――ちなみに、松坂さんからも大事と言われた英会話の練習は。

「いや、まだそこまでは。英語があまり得意ではないんで(笑)」

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