清春(黒夢・sads)、sadsツアーの赤字で5000万円借金!

「黒夢」「sads」としてはもちろん、ソロでも活躍中の清春
  • 「黒夢」「sads」としてはもちろん、ソロでも活躍中の清春

1990年代から2000年代にかけ一世を風靡したロックバンド「黒夢」「sads」のボーカル・清春。デビュー直後からカリスマ的な支持を集め、今なお活躍するロックスターが味わった “苦い”経験を前後編に分けてお届け!前編では巨額の負債を抱えることになった失敗に迫る!!

ツアーの赤字で5000万円の借金!

――約25年の音楽活動で思い出す“苦い”経験といえばなんでしょうか?

sads※時代に、5000万円の赤字を抱えたことですね。

(※「黒夢」活動休止後に結成。1999年~2003年。2010年に復活し現在も活動中)

――5000万!?何があったんですか?

ライブツアーの赤字ですよ。

「BABYLON(バビロン)」というアルバム※を出した2000年、「Welcome to my Babylon」という全国ツアーをやったんです。

(※TVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」主題歌の「忘却の空」が収録され、オリコン初登場1位の大ヒットとなった)

それが5000万の赤字になってしまって。

僕はその当時から、個人事務所を立ち上げて活動していたので、その負債を自分の会社…つまり僕が背負うことになったんです。

――お客さんが入らなかったんですか?

いや、チケットはほぼ完売で、グッズも順調に売れました。

だけど…舞台セットにお金をかけすぎたんです。2億くらいかかったのかな?

さなぎが蝶になって、その羽が開くとか、とても手の込んだ仕掛けを作ってたから。

――しかし、チケットもグッズも売れたのに赤字というのは…。

そもそも、予算組みを間違えてたんですよね。

僕も含めて多くの人がこのツアーに関わっていたけど、当時は誰もそれに気付けなかった。

もともと僕が「どうしてもやりたい!」と言って舞台セットにお金をかけたんですが、こだわりすぎたんですね…。

――5000万もの負債、返済はどうされたんですか?

主な負債は、そのツアーの制作会社に払うべきお金だったんですよ。

それで、しばらくはライブをしても、そこが当日のチケットやグッズの売上をすべて持っていくという状況が続きました。

だから、いくらライブをしても僕自身はノーギャラだった(笑)。

当時のライブの利益で、すべて返済し終わりましたけどね。

絶頂期の黒夢を活動休止

ほろ苦い体験を語る清春
  • ほろ苦い体験を語る清春

――sadsの話が先に出ましたが、その前の黒夢は絶頂期の1999年に活動休止を。どのような理由が?

メンバー…人時※くんとの確執ですね。

(※ひとき。ベース担当。)

インディーズのときや、メジャーデビュー直後は、兄弟みたいに仲が良かったんですよ。

彼の方が年下だから、弟みたいにかわいがっていました。

でも途中から、あまりいい関係じゃなくなりましたね。

――当時はどんな様子でしたか?

お互いに会話もしたくないくらいです。

実際、ふたりともマネージャーに伝言を頼んで、双方の意思を伝えている状態でした。

一緒にいると気まずいので、楽屋は別にしてもらうようにお願いして。

小さなライブハウスとかで楽屋が一つしかない場合、僕は開演の直前に会場入りして、終了したらすぐに会場を出ることで、彼と会わないようにしてました。

だから、僕だけリハーサルに参加しなかったことも多いです(笑)。

――一緒のグループなのに…。

レコーディングのときでさえ、スタジオで会わないようにしていましたね。

別々に音を録って、後から合わせていました。

――ですが、曲に対するお互いの意見が分からないと制作上困るのでは?

困りますよ。

音の調整のときなんか、僕がベースの音を下げたら、また後日、人時くんがベースの音を上げて。

それを聞いた僕がまた下げて…と(笑)。

――(笑)。そこまで仲が悪くなった原因は?

彼がバンドよりも家庭を優先したことですね。

メジャーデビューの翌年かその次の年くらいかな。“これから”という時期に、彼が結婚したんですよ。

そうしたら「家庭との時間を大切にしたい」と言い始めて。

まあ当時は、半年でライブを120本くらいして、自宅にはほとんど帰らないような状況で全国をまわってたから、家庭のことを考えると厳しかったのかもしれないけど。

――なるほど…。

あるときなんて、「ミュージックステーション」の出演を「その日は家族旅行の予定があるから無理」と断ってきたの(笑)。

僕は「はぁ!?何を考えてるんだ」ってなり(笑)。

外タレ(海外タレント)ではそういう話も聞くけど「ここは日本だ!」と。

――そういうことが積み重なって、清春さんから活動休止を切り出した?

いや、言い出したのは人時くんですね。

解散の約2年前、マネージャーから世田谷のリハーサルスタジオに呼ばれたんですよ。

ミーティングルームに行くと、彼が座っていて。

久しぶりに直接話すのかと思ったら「辞めたいんだけど」と…。

――どう返答したんですか?

「あ、無理だよ」と、あっさり答えました(笑)。

だって、次のツアーがもう決まってたんです。チケットも売ってるし。

「辞めたら、損害払える?最後のツアーだけやろうよ」って。

熱心に説得したとかじゃなく、だいたい2分くらいの会話ですね。

――2分とは、短いですね。

でも考えるまでもなく、チケットを販売してしまっているのに、解散してキャンセルはできないですよね?

だから、マネージャーにも後で怒りました。

「なんで、あんなこと言わせるんだ?無理に決まってるだろ!?」って。

――確かに。

ただ実際は彼の方も、家庭のことだけじゃなくて、色々考えていたのかもしれない。

楽曲は僕が主導で制作してたから、彼は「好きなことができない」というフラストレーションもたまっていたと思うんですよ。

それは分かっていたから、ソロ活動を勧めたりもしたんですけどね。

――そうなんですね…。

あと、彼は黒夢が「オリコン1位」や「ホールツアー」を達成したことで、アーティストとしての自分には、満足してしまったのかもしれないです。

僕は違ったんですよ。もっと“絶対的な立ち位置”が欲しかったんです。

――というと?

CDの売上では、僕ら80万枚くらいが最高なんです。

でも、100万枚…もっと言うと200万枚も不可能じゃないと思っていました。

それに、ライブも横浜アリーナまではやったんですが、東京ドームまではやりたかった。

(※横浜アリーナの収容人数は1万7000人、東京ドームは5万5000人)

本当にできるかは分からないけど、僕はそれを目標にしていたし、チャレンジしたかったんですよね…。

※この記事は内容を抜粋・要約したものです。「黒夢」全盛期にテレビ出演を断っていた理由など、全文は「週刊ジョージア」(https://weekly-g.jp)でご覧いただけます。

【週刊ジョージア】

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