「石を投げつけられた」佐野史郎が“冬彦さん”時代の秘話明かす

「ずっとあなたが好きだった」で“冬彦さん”を演じた佐野史郎氏
  • 「ずっとあなたが好きだった」で“冬彦さん”を演じた佐野史郎氏

テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」※の“冬彦さん”役で大ブレイクした佐野史郎。「マザコン」を流行語にするなど、社会現象とまでなったドラマの裏に隠された“苦い”話に迫る!

※1992年放送。桂田冬彦(佐野史郎)と結婚した美和(賀来千香子)が、初恋の人・大岩洋介(布施博)と不倫関係になる作品

近所の子供から石を投げつけられた…!

――佐野さんは「ずっとあなたが好きだった」(以下、「ずっと」)で演じた「冬彦さん」の強烈なキャラクターのイメージが強いですね。

いい作品が多くの人に知ってもらえたということで、俳優冥利に尽きます。

ただ演じている側としては、どんな作品でも「ちゃんと役柄を生きよう」と心がけているだけで、精一杯なんです。

それは、冬彦ちゃんも一緒で…。

――冬彦“ちゃん”ですか!?

まあ、 “他人”の感覚なんでしょうね、ちゃん付けで呼んだりもします(笑)。

――(笑)。その「ずっと」で、“苦い”経験はありましたか?

当時は冬彦の気持ち悪いイメージだけが一人歩きしていたので、子供から石を投げつけられたことがありますよ。

それに電車の中で、優先席に座っていたご老人から“ものすごい目”で、にらみつけられたことも(笑)。

――ええっ!?

4話が放送された後くらいかな。

朝、「ずっと」の撮影のためにスタジオに向かっているときに乗った電車でした。

通勤時間だったので、けっこう混んでましたね。学生さんや、お勤めの方たちがいて。

その車両に僕が乗ったとたん「わーーっ!」って騒ぎになったんです。

だけど、誰も目は合わせない。

そのご老人だけが、優先席に座ったまま僕を、(こんなに大騒ぎになるなんて)「誰だ、お前は!?」とばかりににらみつけるんです(笑)。

――周りからは「佐野史郎イコール冬彦」として見られていたんですね。

「困ったな…そこにいるだけで、迷惑がかかる存在になってしまったぞ」と思い。

すぐに車を買って、現場マネージャーにも付いてもらって通うようにしました。

――大変ですね…。

そのときに、「冬彦のイメージが一人歩きしてるな」ということにも気付きました。

そして、このイメージが“マザコン”というキャラクターとして、ストーリーから離れて人物像の誤解を生み。

さらにドラマが話題になるにつれて、エスカレートしてしまったんですよ、

――というと?

冬彦は、どこにでもいる普通の人の面と、マニアックでおかしな面、両方を持っている人間のように思えます。

そういった人物像が「周りにもいるな~」と視聴者の共感を呼んだからこそ、ラブストーリーを軸としたドラマの内容自体も、たくさんの人に楽しんでもらえたんだと思います。

だけど…。

ドラマを一度も見ずに、何かの機会にインパクトの強いシーンだけを見かけたりする方も多かったようで。

その方たちには、冬彦のことを“変な人”“マザコン”としか見てもらえなかったんですよ。

これには寂しいような悔しいような、複雑な想いを抱きました。

スタッフに“ハメられ”やりすぎた!!

――とはいえ、その“異常性” が注目を集めるきっかけになったと思うのですが、どうしてああいったキャラに?

本来の主人公である美和と、その初恋の人、大岩とのラブストーリーを不倫ドラマとして受け止められないようにするためです。

そもそもは、この2人が主軸の話で、冬彦はあくまでも脇役ですから。

――夫を振り切ってでも初恋の相手と結ばれる女性を描く、純愛物語だったと。

そうです。

でもまぁ、不倫ていうのは社会的には許されないことじゃないですか。

普通に考えると、主人公である美和がどうやっても悪者になってしまう(笑)。

だから視聴者が「こんな夫なら、美和が別の男のところに行っても仕方ない」と思えるような人物として、冬彦が生まれたんです。

――最初から嫌われるための役だったんですね。役をもらったとき、冬彦の設定を知って驚かなかったですか?

いや、実は冬彦像をどうしたらいいかと相談を受け、僕も一緒に考えていたんですよ。

プロデューサーの貴島(誠一郎)さんや、ディレクターの生野慈朗さん、脚本家の君塚※さんと相談して。

(※君塚良一、「踊る大捜査線」シリーズの脚本家として有名)

相談を受けた時点で、3話までは台本が出来ていて。

マザコンという設定は決まっていたんですが、その先は演じながら最後まで相談して作っていました。

――あ、そうなんですね。

だけど、元々はあそこまで強烈なイメージを与えようとしてたワケじゃなかったんですよ。

ただ、1話の視聴率(13%)も納得がいく数字ではありませんでしたし、なんとか挽回したいと、さらにみんなで結束して取り組みました。

そこで僕は、「家族の愛が歪んでいる様子※を、キャラクターを掘り下げるのではなく、そこに至る社会的背景を徹底的に考えてみたらどうだろう」と提案したんです。

(※子離れできない母とマザコンの息子)

3話までの脚本はすでに完成していましたが、それ以降冬彦が注目されるようになったので、そのようにシナリオが変更されたように思われるかもしれません。

しかし実は、出演シーンはそれほど多くはないんです。その中でどう印象付けるかがキモで。

5話なんか1シーンしか出てない(笑)。

――キャラを強調していくのも、佐野さんのアイデアだったんですね!そんな中でも、「やりすぎだ」とNGになったシーンはありますか?

どんな演技をしても制作陣がしっかり受け止めてくれたので、それは無かったですね。

どれだけ“笑えるか”ということを真剣に考え、毎回スタッフの予想を裏切る演技を心がけていました。

――笑えるか?

テレビドラマはエンターテインメントの側面もありますからね。

複雑な親子の愛や、夫婦間の葛藤をマジメに表現しつつ、一方では楽しんでもらいたかったんです。

賀来さんは、いつも笑いをこらえるのに必死でしたよ(笑)。

――そうなんですね(笑)。

野際さんとのシーンでは、しょっちゅう笑ってらしたような(笑)。

冬彦がオモチャの木馬に乗って揺られながら…というシーンでもそうです。

「他の男に僕の子供を抱かせるなんて…あああ~~!許さないぞー!!」

と言う場面、本放送でも賀来さんは少し笑ってます(笑)。

――「ドラマ名場面特集」などで、よく取り上げられる代表的な場面ですね。

あの木馬、実は台本には無かったもので、監督に“ハメられて”乗ったんですよ。

リハーサルでは普通にイスに座って演技していたのに、本番では子供用の木馬がセットに用意されていたんです。

――いきなり「木馬に乗ってください」と言われた?

いえ。直接は言われませんでした。でも「これは…乗れってことなんだろうな…」と。

僕は最初イヤだったんですが、「山があったら登る」でしょ?

「木馬があったら乗る」んですよ(笑)。

それで、あんな演技になっちゃって。

スタッフも“悪ノリ”していたというか、良くいうと“勢い”があったんですよね。

娘から「おとーさん、キモい」と…

――冬彦の出番が増えるにつれて視聴率も上昇、後半では30%台になり「冬彦さん」は大ブームに。

最盛期は、1カ月に200本の取材があるほどでしたね。

本番前にメイクをしながら取材を受けて、収録の合間も取材を受けて。まるで売れっ子アイドルのような状態。

その時間も含めて役柄を演じ続けていたんですね。

――それは大変ですね…。

でも、あのときはそんな状態を楽しめていたんですよ。

良い作品を作りたいという想いと、「1%でも高い視聴率を取りたい!」という想いが相乗効果を生んでいたのか、その状況は嬉しかったし。

だけど…実家にまで、僕に話を通さず取材が入ったこともあって。それはイヤでしたね。

オフクロや学校の先生に「佐野さんは、やっぱりマザコンだったんですか?」とか聞かれて。

友人たちにも取材が行きましたし。

――その取材で「そういえば、マザコンでしたね」と発言されたり?

まあ、そうですね。

だって、まったくマザコンじゃない人なんていないでしょ?

――確かに(笑)。ご家族ということでは、娘さんがいらっしゃいますが冬彦役について何か?

放映当時は生まれたばかりだったので、状況は分かっていませんでしたね。

だけど中学生になった頃、再放送か何かで目にしたらしく。

「おとーさん、キモい…」と言われました(笑)。

――えっ、そのときはどんな反応を?

「仕事だよ」って(笑)。

僕はそういった役が多いから、娘は慣れていますよ。

本気でイヤがるようなことは無いですね。

――なるほど。そして、最終回では34.1%の高視聴率をマーク。1992年の民放連続ドラマで、最高の数字となりました。

プロデューサーやディレクター、脚本家と一緒に、チームとして、いい作品を作れたからですね。

映画では監督を中心とした座組の意識が心地良かったのですが、連続ドラマでもそれが可能なんだなと思いました。

――制作陣と密に連携し、素晴らしい役や作品を作り上げた佐野さんに対し、本来主演だった布施さんは内心穏やかではなかったのでは?

それは…面白くはなかったでしょうね。

ただ少なくとも、僕らの前では愚痴の一つもこぼさず、役に黙々と取り組んでらっしゃいました。

そのことは、今でもものすごく感謝しています。

そうですね…だから、「ずっと」での僕の失敗といえば“好き勝手”やっていた部分です。

それは一生懸命だったことの裏返しなんですが、周りからは“傲慢(ごうまん)”に見えていたかもしれない。

――なるほど…。

ですが一方では、「それくらいの気持ちでやらないと、あの作品は作れなかった」という気持ちもあります。

だから似たような場面では、また同じ選択をしてしまうかもしれない。

失敗に学んで、それでも失敗して、また学ぶ。その繰り返しなんですよね。

【写真を見る】佐野史郎氏から、みなさんへの意外な直筆メッセージ!「失敗に…」
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佐野史郎●(さの・しろう)1955年生まれ。島根県出身。「ずっとあなたが好きだった」の「冬彦さん」役で、一躍人気俳優に。映画監督、脚本家、ミュージシャンとしても活動。

取材/野村博史(DUAL CRUISE) 撮影/洲脇理恵(MAXPHOTO)

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