HOME MADE 家族“無期限休止”真相をMICROが激白「全部失うかも」

MICRO(HOME MADE 家族)
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アニメ「BLEACH」のエンディングテーマ曲「サンキュー!!」等で有名なヒップホップグループ「HOME MADE 家族」が、約20年に及ぶ活動を年内で休止すると発表。WEBマガジン「週刊ジョージア」がMC・MICRO(ミクロ)に休止の真相や、長年の活動で味わった“苦い”経験を聞いた!

年内で活動休止…

――HOME MADE 家族は、2016年内で無期限の活動休止となるそうですね。

はい。“無期限”ということで、「つまり解散でしょ?」とよく言われますが、決して解散ではありません(笑)。

メンバー間の確執もありませんよ。今も仲いいですから。

――では、どうして休止を?

僕はもちろん、他のメンバー…KUROもU-ICHIも“今のHOME MADE 家族の現状”に満足していないからです。

(KURO=MC、U-ICHI=DJ)

やっぱり、プロとしてやっている以上「もっと売れたい」し、「ツアーには1人でも多くの人に来てほしい」んですよ。

だけど、このまま続けていてもそれは難しいと感じました。

――なぜでしょう?

良くも悪くも、今はHOME MADE 家族というグループに守られている状態なんです。

一度、メンバーそれぞれが独り立ちし、荒波にもまれて成長する必要があるんじゃないかと。

――なるほど。

だから、あえて“休止宣言”をしました。

休止しなくても、「今年はソロ活動に重点を置きます」ということはできる。

でも、それって“守り”じゃないですか。

「もう、戻って来られないかもしれない。全部を失う可能性がある」

という覚悟を持たないと、成長なんてできない。

――退路を断ったんですね。

この決断まで何度もメンバーやスタッフと相談しましたよ。

休止するとファンの方を悲しませてしまうし、休止をきっかけに離れていく人もいるかもしれない。

でも、グループ結成から約20年、メジャーデビューから12年、僕らも年を食ってきました。

年相応の説得力やクオリティを出して「一生、HOME MADE 家族を続けていく」ためには、どうしても必要な過程だという意見で一致したんです。

ラッパーが歌ってんじゃねー!

――休止前にあらためて活動を振り返ると、デビュー半年後にリリースした「サンキュー!!」がTVアニメ「BLEACH」のエンディングテーマとなりヒット。「サンキュー!!」を収録したアルバム「ROCK THE WORLD」はオリコン5位にランクインを。

「アニメってスゲー!!」と思いましたね。

実は最初、心配な点があってメンバーやスタッフと相談したんですよ。

「今までHOME MADE 家族を応援してくれた人の目には、アニメのテーマソングになることってどう映るんだろう」と。

それに、「サンキュー!!」は当時にしてはメロディを付けて歌うパートが多い曲だから「HOME MADE 家族が非常にポップなイメージに見られてしまうんじゃないか」とも。

テーマ曲に採用されたことは嬉しかったんですが、正直怖かった部分もあるんです。

――グループのイメージが壊れて、ファンが離れていくかもしれないと…。実際はどうでしたか?

ファンの方には、好意的に受け取ってもらえました。

「サンキュー!!」から、新しく聞いてくれた人もいましたし。

――心配は杞憂に終わったと。

ただ…同業者から「ラッパーが歌ってんじゃねーよ!ラップで勝負しろよ!!」と言われました。

今は違いますが、当時のヒップホップ界は、歌うイコール“ディス”の対象だったので。

――えっ、そんなことで?

はい。だけど「言葉だけではなくメロディも駆使して曲作りをする」のが、HOME MADE 家族のスタイルですからね。

「サンキュー!!」以外の曲も、他のヒップホップグループに比べると歌うパートが多いんです。

だからディスられたこと自体は悔しかったですが、話題性があるということだし、オリジナリティが強いということだと、プラスに受け止めていました。

――一般の人の反応は良かったワケですしね。

はい。リリース後には「何を小さなことに、こだわっていたんだろう?」って思いました。

普段、自分たちがやっているような音楽を聞かない人にも、曲を届けられるデカいチャンスなワケですから。

――確かに。

その後もアニメのテーマソングは「少年ハート」(交響詩篇エウレカセブン)、「流れ星~Shooting Star~」(NARUTO疾風伝)とやらせてもらうんですが。

ますます「日本のアニメってスゲーっ!!」という思いが強くなっていきました。

というのも、アメリカやブラジルでライブをしたときに、向こうの人が「サンキュー!!」や「少年ハート」を日本語で歌ってくれるんですよ。

サビだけじゃなくて、ラップのパートまで。

目の前で見たときは、ちょっと“ヤバかった”ですよ。

「このままブラジルに住もうかな!?」って思っちゃいましたもん(笑)。

「BLEACH」のテーマ曲に採用され“勘違い”

――結果的には、アニメのテーマソングになって大成功だったと。

はい。でもそこで“勘違い”をしてしまったというか…。

「サンキュー!!」で、いわゆる“ハネた”状態を経験し。

今まで3000枚くらいしか売れなかったCDが20万枚、30万枚と売れていく。

そのときに、

「やっと俺たちがいいと思って作ったものが、世の中にちゃんと届いた!“いいもの”なんだから、きっかけさえあれば認めてもらえるんだよ」

「ここから右肩上がりに、もっと伸びていくぞ!」

と思っていたんです。

――“勘違い”ということは、そうではなかったと?

その後同じように“いいもの”だと思って出した曲やアルバムが、いずれも「サンキュー!!」や「ROCK THE WORLD」より売れなかったんです。

後から考えると「サンキュー!!」は人気アニメのテーマソングで、しかも、デビュー1年目の新人が歌っているという話題性があったんですよ。

多くの人に届けるには、時代とのマッチングやタイミングなど、曲以外の要素もからんでくるということに気付くんです。

――なるほど…。

「右肩上がりにはいかない」という事実があり、それでもなんとか多くの人に曲を届けようと模索しチャレンジしていく中で…。

僕と他のメンバーで、“歯車”がかみ合わなくなってしまったこともあります。

――というと?

僕はデビュー5年目くらいまで、HOME MADE 家族の音楽の幅を広げようと必死だったんですよ。

外部のプロデューサーやトラックメーカー(作曲家・編曲家)に参加してもらったり、違うジャンルの人と積極的に会うようにしたり。

例えば「君がくれたもの」(2007年)という曲では、今井了介さんという大御所プロデューサーに作曲をお願いし、“歌”に重点を置いてみたりしました。

初めて“ファルセット(裏声)”に挑戦したけど、なかなかうまくいなかなくて「優しく歌うってこんなに難しいんだ」って勉強になった記憶があります。

それまでの僕らの曲とはだいぶ雰囲気が違う曲なので、ファンからも賛否両論ありました。

でも、チャレンジとしては成功だと思っていたんですよ。

――音楽の幅が広がったと。

はい。「君がくれたもの」から、新しく聞いてくれた人もいましたし。

ただ、後から知るんですが、今井さんの件に限らず、僕が“チャレンジ”だと思っていたその一連の行動が…。

KUROとU-ICHIには時には“暴走”にも見えたりして、「実はすごくイヤだった」時期もあったのだと。

良かれと思ってしていたことが、2人を不快にさせてしまっていたんですよ。

――えっ?

これを深く知ったのは2014年、メジャーデビュー10周年のときなんです。

「家宝」というベストアルバムに、10年を振り返る小冊子を付けることになり、そこで“酸いも甘いも”正直に語ろうという企画があって。

対談中に「実はイヤだった」とその話の真相を聞かされ…。

――なぜ、イヤだと思っていた当時はその話を出来なかったんでしょう?

あの頃は目まぐるしいスピードの中で、とにかく前に進まないといけなかったし。

やっぱり「何か変わらなきゃいけない」というのは、みんな共通の認識だったと思うんです。

ただそのときの僕の行動に、違和感があったということで。

自分で振り返っても、確かに5年目くらいまでは周りを見ずに“ガムシャラ”に突き進んでいた部分があったと思います。

その頃に整理をつける意味でも、10年目という区切りで当時の思いを語ってくれる気になったんでしょうね。

後からとはいえ「2人の本当の気持ちを知れて良かった」と思いましたよ。

10周年に事務所を離れることに…

――しかし、それから2年後の今年いっぱいで活動休止。実際は確執が尾を引いていたのでは…。

いえ。休止の直接的な理由は、最初にお話した通り成長のためです。

ただ…その裏側では、音楽以外の問題も実は起きていました。

――どういうことでしょう?

10周年のとき、僕らは景気良く47都道府県制覇ライブをしていたんですよ。

だけどその裏で、所属していた事務所の経営が僕らとは別の所で悪化して、各所への支払いが滞っている状態だと分かって。

小さな事務所で、スタッフも僕らと一緒に歩んできた人間たち。

知らないフリはできないから、自分たちの印税や給料を返済に回しました。

ですが…結局は会社を離れることになり、僕らは今所属している事務所へ移籍を。

――そんなことが…。

だから、10周年のときは水面下で色々あったんですよ。

でも僕たちはミュージシャンなので、どんな状況だろうと音楽を作り出さないと生きていけない。

どうせ動くなら「笑い飛ばしていこうぜ!」ということで、その時期に作ったアルバムのタイトルが「Laughin' Road」。

「どんな道でも笑い飛ばして進んでいこう」という意味を込めました。

――まさに、自分たちの置かれた状況を元にしたタイトルだったんですね。

このゴタゴタを乗り越えたことで、メンバーの結束はさらに強くなりました。

「オレたちは本当の家族だ」と。

そして、新生HOME MADE 家族として60曲くらい新しい楽曲を作ったんです。

――かなり多いですね。

でも、60曲作って気付いたんですよ。

もっと根本点なところで新しいチャレンジをして、一人ひとりが成長しないと「一生HOME MADE 家族を続ける」ことは難しいと。

そして休止に繋がるんです。

――なるほど…。

それぞれが個人として活動していく中で“失敗”もすると思います。

でも、その苦い経験こそがフレーバー…人間の“味”となるんですよ。

“苦味”は“うま味”ですから。

――確かにそうですね。休止後の予定というのは、もう決まっているんでしょうか?

あまり間を空けず、何らかの形を見せたいと考えています。

KUROとU-ICHIのことも初めて外から見られるし、どんな世界を見せてくれるのかフレッシュな気持ちでドキドキしています。

逆に、僕の活動でも2人をドキドキさせたい。

そうやってお互いに刺激を与え合うことが、グループを離れて活動することの意義だと思うんですよね。

(※この記事は「週刊ジョージア」の「ほろ苦インタビュー」から抜粋したものです。全文・全写真はオリジナルサイト<https://weekly-g.jp>でご覧いただけます)【週刊ジョージア】

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