SUGIZO(LUNA SEA)、SIAM SHADE解散後の淳士に「復活しろ!」

淳士(ドラマー)
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SIAM SHADEのドラマーとして活動。解散後はT.M.Revolution、GACKTら多数のアーティストのサポートドラマーや、自身のバンド「BULL ZEICHEN 88(ブルゼッケンハチハチ)」のリーダーを務める淳士(じゅんじ)がWEBマガジン「週刊ジョージア」の「ほろ苦インタビュー」に登場。約20年におよぶ音楽生活での“苦い”経験を語った!

「1/3の純情な感情」が売れて悔しかった…!

――約20年の音楽生活で“苦い”経験といえば、なんでしょうか。

SIAM SHADE時代の「1/3の純情な感情」(以下、「1/3」)が売れたときは“悔しかった”ですね(笑)。

もちろん、多くの人に聞いてもらえたことは、嬉しかったんですけど…。

――どういうことですか?

「1/3」は、SIAM SHADEがデビューしてから3年目の曲なんですが。

初めて、外部の人に曲のアレンジなどをふくめたプロデュースを任せた曲なんですよ。

それまでのSIAM SHADEは、曲作りに関してはすべてメンバーだけでやっていたんです。

セールスは数千枚から、一番売れた曲でも1万枚くらい。

それが、外部プロデューサーに任せたとたんにオリコン初登場7位の大ヒット。

1万枚どころか、毎日3万枚ずつ追加注文が入る状況で、累計80万枚売れたんです。

それまでの曲にも自信があっただけに、悔しかったなぁ(笑)。

――なるほど…。

「1/3」も、原曲は僕たちが作ったんですが、プロデュースをしてくれた明石昌夫※さんのアレンジで、大きく変わったんですよ。

(※B'zやZARDの編曲を多く手掛けたヒットメーカー)

実は、そのアレンジに僕たちは納得していなかったんですが、プロデューサーの言うことだから、仕方なく従ったんです。

メンバー全員で「これで売れなかったらどうしてくれよう(笑)」って言いながら(笑)。

――(笑)。

最初に「今までに作った曲を、全部聞かせて」と言われたんです。

100曲どころじゃない膨大な数のデモテープを提出した中から選ばれたのが、お蔵入りになっていた「1/3」。

僕らとしては、すでに“過去の曲”だったんで「あの曲を出すんだ。ふ~ん」という乗らない気持ち。

しかも明石さんが、「これのテンポを、もっと速くしよう」なんて言うから。

「ヤダよ。だったら他の曲を書くよ」って、一度断ったんです。

――そんなことが…。

でも、「イヤだったら別にいいんだけど…売れないよ?」って断言されて。

僕らは、こっそりミーティングですよ。

「おい、あんなこと言ってるぞ」

「しょうがないから、アイツの好きにさせてみよう」と(笑)。

――本当にイヤだったんですね(笑)。

それで「分かりました」となり、アレンジされたデモを聴いたんですが、全然いいと思えない。

ドラムを録るときも、僕の好きな音を出してみたら「それじゃない」ってダメ出し。

指定された音は、まったく好きじゃない音色だったんですが、仕方ないのでペシペシ叩いて(笑)。

誰も口には出さなかったですが、“魂を売った”感覚でしたね…(笑)。

――そんな状態だったんですか。

でも発売間際になると、今までの曲と違ってまわりが“ワサワサ”してくるのが感じられたんですよ。

多くの人が集まってきて、アニメ(「るろうに剣心」)のタイアップもついて。

リリース初週のオリコン結果を、移動中の車の中でマネージャーが聞いたんですが、

「うんうん、分かった…オリコン7位!!」って。

みんな大喜びで、運転手さんまで拍手しちゃって。

すごく嬉しかったのと同時に、僕らの心の中は、

「明石さん!すみませんでしたーーー!!」です(笑)。

――(笑)

“完敗”ですよね。

「やっぱ、スゲー人はスゲーんだな…!」って。

だから、今では“恩人”だと思っていますよ。

自分たちの感覚を貫き通すポリシーも必要ですけど、それだけじゃダメだということを、教えてもらいました。

SIAM SHADE解散…

――「1/3」ヒット以降の状況はいかがでしたか?

その後出す曲の売り上げが、どんどん“下に下に”で「あ~、もう一発屋じゃん」という感覚でした…(笑)。

いや、実際はある程度売れていたんですよ。

でも一度大ヒット曲を出してしまうと、普通に売れたくらいじゃ「あー、もうSIAM SHADEはダメだ」という感じに、世の中がなりますよね。

数字の恐ろしさを実感しました。

――そして「1/3」から約3年後には解散を…。

そうですね。ただ、数字が原因で解散したワケじゃないんです。

ヒット曲を持つバンドとして活動させてもらう中で、色々な経験を積んで。

メンバー一人ひとりの個性も強くなるし、やりたいことと、そうでないことの意見もハッキリしてきます。

悪い意味じゃなくて、これは“成長”の形だと思うんですけどね。

そういった状態で「このままなんとなく続けていくのかな、それともどこかで“お疲れさん”にした方がいいのかな」というのは、各自が考えていたと思います。

――なるほど…。

でも…僕は当時、一番解散に反対していたんです。

不安だったから…。

周りの人間は「淳士だったら、仕事に困ることはないよ」なんて言ってくれていたんですが、やっていける自信はありませんでした。

「サザン(オールスターズ)とかTUBEみたいに、やりたいときだけやる形でもいいじゃん」と言ったんですが…。

まあ、元々白黒ハッキリさせたいというメンバーが集まっていたから、解散することになったんです。

――なるほど…。

解散から半年くらいは、何もしないで“腐って”ましたね。

でも、ファンの人が待っていてくれるのを知ったから、自分で曲を書いて自分で歌ったりするようになって。

そうこうしているうちに、サポートドラマー※としても活動するようになったんです。

(※ソロの歌手や、ドラムがいないユニットのツアーやレコーディングに参加する)

ある意味では、そこからが僕の本当の“社会人一年目”ですね。

――いつも一緒にいた仲間たちから離れて。

その頃、本当に“苦い”経験をしたことがあるんですよ。

あるアイドルのレコーディングに、ドラマーとして呼ばれて。

指名されたので、僕なりのアレンジをしっかり考えていったんですよ。

そしてスタジオに入って演奏し、「プロデューサーはどんな感想を言ってくれるのかな?」とワクワクしていたんですが…。

「もうちょっと、手数を減らしてくれる?」というのが、何度も続いて。

結局、基本的なビートと、ときどきシンバルを叩くだけで、何もさせてくれない。

最後には「じゃあ、スネアとキックとタム※、一発ずつもらっていい?」って…。

(※それぞれ、ドラムの種類)

結局は、演奏じゃなくて“音素材の提供”ですよ。

僕である必要が、まったくない。

「俺って、この程度なの?」と思いました…。

――そうなんですね……。

でも、いいこともあって。

T.M.Revolutionの西川貴教さんから、「一緒にやろうよ」と声をかけてもらえたんですよ。

SIAM SHADE時代にも、お会いしたことがあって。「いつか、一緒にやりたいね」なんて、言ってくれていたんですけど。

でも、そういうのって社交辞令なことも多いじゃないですか?

――確かに。

僕もそれは分かっていたんですが、解散後は心のどこかで「いつ声をかけてくれるのかなー」って期待していたんです(笑)。

だからSIAM SHADE解散後、西川さんのCDを全部買ったんですよ。

「よし!いつ声をかけてもらっても、全部の曲をできるように覚えよう!!」って。

オファーもされてないのに(笑)。

――すごい気合いですね…。

ただ、曲の数が数なんでさすがに根気が続かなくて、途中で諦めましたが…(笑)。

まあ、それぐらいの気合いが実を結んで、直接お会いしたときに誘ってもらえたんですよ。

そして後日、制作の方から正式なオファーがあり、サポートに加えていただけたんです。

西川さんのバックでは、やりたいことだけやっていれば良かった自分のバンドと、ソロのアーティストを輝かせるための演奏の違いを学べました。

さすがに某アイドルのときのようなことは、なかったんですが(笑)。

プロとしての仕事を、勉強させてもらいましたね。

再結成ライブでSUGIZOから「復活しろ!」

――その後、Gackt(ガクト)さんや Acid Black Cherry (アシッドブラックチェリー)をはじめ、多くの方のライブやレコーディングにサポートドラマーとして参加。さらに、SIAM SHADEも何度か期間限定で復活していますね。

ええ。一度目は、SIAM SHADEの育ての親のマネージャー…「『1/3』がオリコン7位になった!」と、車の中で喜んでくれた方です。

その方が亡くなった2007年に、追悼の意味で再結成を。

そして、去年の10月から今年の10月にかけても、メジャーデビュー20周年ということで活動していました。

――ファンからすると、「せっかくなら、ずっと続けてほしい」と考えるのでは?

でしょうね。

もちろん、いいライブができているという自信はあります。

だけど期間限定で、決まったゴールに向かって進んでいるから、うまくいくんですよ。

もしも誰が何をガマンしていようと、もう大人だし、決まっている期間はやろうと。

――(笑)。

SUGIZOさん(LUNA SEA)が、僕らが武道館でやった再結成ライブを見に来てくれたことがあって。

「SIAM SHADEは、絶対に復活しないとダメだ!いま純粋なロックで、ここまで武道館を一体にできるのはお前らしかいない!!」

とまで言ってくれて、すっごい嬉しかったんですよ。

すっごい嬉しかったんですけど…僕らはみんな無言(笑)。

誰も「分かりました!」とは言わなかったな(笑)。

今回の再結成も、10月に“完結”として終わらせてもらいました。

僕は個人的に、この形になれて良かったと思いますよ。

メンバーたちが、ちゃんと友だちとして「じゃあ、またね」と言えたんです。

この先、もしかして誰かが音楽を辞めたり、死んじゃったりするかもしれない。

でも、みんなが生きていて音楽を続けていたら…もしかしてまた復活もあり得る…かもしれない。

そんな予定はないし、約束もできないけど…。

僕らはやっと“すごくいい関係”になれたと思っています。

チケットが売れるほど赤字が増えるんです!

――淳士さんは現在、サポートやSIAM SHADEとは別に、BULL ZEICHEN 88(ブルゼッケンハチハチ)というバンドでも活動されていますね。

【写真】SIAM SHADE解散後の淳士が結成した「BULL ZEICHEN 88」
  • 【写真】SIAM SHADE解散後の淳士が結成した「BULL ZEICHEN 88」

今の僕のホームはBULL ZEICHEN 88です。

僕と同じく西川さんのライブにサポートとして参加していたベースのIKUO(イクオ)君と意気投合して、作ったバンドなんですよ。

IKUO君がインディーズ界隈に詳しかったので、ボーカルとギターは探してきてもらって。

――そのバンドに専念するという考えは、なかったんですか?

「ガンガン売れよう!」というのが目的のバンドじゃないんですよ。

僕がリーダーなんですが、「ムダな勝負はせずに、10年続くバンドにしたい」と初めに言ったんです。

ペースはゆっくりかもしれないけど、いいライブをやったら、次は友達を連れて見に来てくれる。

そうやって、ちょっとずつ進んでいこうと。

――なるほど。

そして、今年がちょうど10年目で。

年末に、記念ライブをやることになっているんです。

――おめでとうございます。

いやそれが…“ほろ苦い”こともあって。

バンド名のBULL ZEICHEN 88にかけて「88円ライブ」ということで、チケットを88円にしたんですね。

でもこの値段だと、僕らがチケット販売会社に払う手数料の方が高いんです。

だから、チケットが売れれば売れるほど赤字になる(笑)。

――ええっ(笑)!

いっそのこと、チケットを売らずに無料ライブにした方が赤字が少なくて済むんです(笑)。

だけど、せっかくの10周年だし、そういったバカなことをするのが僕ららしいエンタテインメントなんじゃないかなと。

でも…ファンの人にも言ってるんですよ。

「チケット代だけじゃ赤字なんだよ(笑)!だからグッズのTシャツとか、いつもより高いけど買ってね」って。

88円ライブのチケットは、もうソールドアウトになっているんですが。

これを読んでいるみなさんもCDを買ってくれたり、他のライブに来てくれたりすると助かります(笑)!!

(※この記事は「週刊ジョージア」の記事から抜粋したものです。全文はオリジナルサイト<https://weekly-g.jp>でご覧いただけます)【週刊ジョージア】

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